三日座禅

まさか自分がアイドルにはまる日が来るだなんて、思ってもみなかったんです。Twitter @papapakuchi_

清竜人「平成の男」と吉澤嘉代子「ミューズ」

2019年、2月9日「清竜人 札福広ツアー 2019」、3月10日「吉澤嘉代子 女優ツアー 2019」に足を運びました。いずれも札幌公演。

竜人くんの曲をちゃんと聞き始めたのはここ半年(清竜人25はライブにも行っていたが)、嘉代子さんは「ねえ中学生 feat.私立恵比寿中学」で知ってから聞き始めました。

お二方のこれまでのお仕事、とくに竜人くんに関しては、まだまだいろいろ勉強中です。

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それぞれ別のきっかけで知ったのに嘉代子さんが竜人くんの曲に参加したり、勝手に運命を感じています(超勝手)

 

そんな運命的な両者が平成30年にリリースしたCDのうち、表題曲と言ってもよい曲のテーマが「現代を生きている女性」だったことにも、勝手に運命を感じてよいでしょうか。

清竜人「平成の男」、吉澤嘉代子「ミューズ」です。

 

清竜人「平成の男」

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一夫多妻制アイドルユニットを組んでみたり「ハーレムフェスタ」とかやってみたり男性のつくった曲にはあまり興味が無いとか過去のインタビューで答えてみたり、女の人大好きな竜人くん。

そうやって言う・思うだけでなく、音楽に説得力があるから、もう清竜人という才能の前に我々はひれ伏すしかないぜ!という気分になる。ピカソだってそうだったじゃんね。

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「たとえば貴方にどんな危ない素顔があって秘密の遊びを見つけても私は騙されたっていつまでもきっとそばにいるよ」なんて隣で踊ってる女の子たちに歌わせるし、おそらく女の子数人とアイドルユニット組んで曲中にスカートめくって許されるのはこの世界で竜人くんだけでしょう。マジでフェミニストにボコされる5秒前。

ただ、清竜人25は「夢でも現実でもない」ユニットであり、年数かけて紡がれたハッピーな物語である。物語であるから楽しかったし男性も女性もその空間を楽しく享受できた(現場の女性率、高かった)。

からの数年後、「平成の男」。平成。めっちゃ現実。

ただ、この曲を平成最後の云々ムーブメントに乗っかったのかと判断するのは勿体ない。勿体ないよ。

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ちゃっかり働いている女性である自分からすれば、決して裕福な暮らしではないしなんなら今口座に40円しか入ってないけどとりあえず一人で暮らせているし養ってくれる人が欲しいとは思わない。これから先結婚するようなことがあっても、頑張って就くことができたせっかくの仕事を結婚を機に辞めるなんてありえない!

……という考えや暮らし方も、20~30年前、それこそ昭和の時代にはマイノリティだったわけで。男性より一歩引いた位置に立ち、夫の扶養に入って家庭を軸に生活する、という生き方をもちろん否定するわけではないけれど、そうしなくて良いという社会の雰囲気がじわじわと醸成されたのが平成。

決して元号の変化と時流の変化が結びつくとは思っていないのだけど(元号と同様に20世紀、21世紀、という世紀での区切りも時流の変化に結びつくかというと疑問)、区切って考えたほうが共通見解を得やすいからね。そこはさておき。

こうした時流の変化で、望んでか望まずかはともかく女性は逞しくなってしまいました。

「平成を 俺よりも 逞しく生きている 貴女なら 自分の事 自分だけで きっと守れるけれど」

そう。そうなんです。一人で十分やってけるっす。「騙されたっていつまでもきっとそばにいるよ」なんて言ってくれる女性、今時実際にはなかなか居ないんだわ。

「俺だけが 俺じゃなきゃ 貴女を守れないと せめてもの勘違いさせてはくれないか」

ここです。平成で女性が変わったのに、男性ってもしかしてそんなに変わってない?もちろんセクハラとかDVの問題は昭和の頃よりぐっと表面化したと思うけれど、果たして「男性は女性を守るもの」という価値観は、時代によるものなのか。それとも時代とか時流とか関係なく男性とはそういう性分なのか。それはこれからの新しい時代で検証していくことになるわけです。

昭和かつ平成な雰囲気を湛えていることがこの曲のミソだと思うけれど、新しい時代になって、世の中がまた変わって自分がおばあちゃんになった時にこの曲がどう捉えられるかが楽しみです。

 

 

 

吉澤嘉代子「ミューズ」

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嘉代子さんがアンコールの最後に「楽しい記憶は魔法だから消えちゃうけれど、言葉は記号で消えないから永遠。今日来てくれたみんなへのお土産」(抄)として歌った弾き語り「ミューズ」の力強さは後世に語り継がれるであろう。私が語り継ぐわ。

 

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──吉澤さんが考える“女性”とは?

振る舞い、ですかね。女性としての振る舞いには傾向があるのかなと思いますけど、それも時代が作っていると思うんですよ。時代性を剥ぎ取ったときに何が残るかと言うと、男性と女性の違いを表すのは……ちょっと難しいですね。

 

内容にはフレーフレー!というムードが全くない、かといって「女の子」「女子」だからこうだもんね、という同情もなく、ただ「戦っている貴方はうつくしい」と繰り返し、静かに肯定する。

とくに秀逸だなと思うのがこのフレーズの前にくる「かがやきは傷の数だけ いびつな傷跡が乱反射した」という歌詞で、傷ついている、それも1つや2つではなくもうズタボロという状況、しかしその四方八方から受けた傷跡がそれぞれに影響しあってキラキラ輝く一人の人間をつくっている、という物語がぎゅっと閉じ込められている。

(嘉代子さんの歌詞は短い言葉でありながら背景を想像させる力にあふれていると思っていて、これは俳句や短歌のように限られた文字数で情景や心情を語る日本語ならではの感情表現にかなり近い気がする。)

「逞しく生きている」女性がたくさんの「傷」を抱えていること、だからこそ「うつくしい」。女性が「かがやき」を放つことができる社会は多くの苦しみやジレンマの上に成り立っている。

とはいえ歌詞において「あなた」を「貴方」と書くなど性別の印象はあいまい。アルバム「女優姉妹」が「女性の性(せい)と性(さが)」をテーマにつくられていてタイトルが「ミューズ〈女神〉」である以上、女性に宛てた曲であることは事実ではあるけれど、女性性を打ち出しすぎることはこの曲においてはしていない(アルバムには女の子っぷり1000%の「洋梨」など可愛い可愛い曲も収録されているのに)。これは男性/女性という性別の枠に縛られないうつくしさの表現であるように感じます。

また上記ナタリーのインタビューで「女性」と「時代」について嘉代子さんがおっしゃっていますが、「平成の男」とは対極であると言ってよいくらい、歌詞には「今」とか「未来」とか、はたまた「過去」とか、そういう要素がありません。性別や時代を超越した普遍的なうつくしさを女性に宛てているのが逆に今っぽさでもあり、かっこいい。

 

 

今の自分は「女性だから」という理由で縛られることなく楽しく生きているけれど、これから結婚やの出産やの経験する機会があれば、自分が女性であることを嫌でも意識していくことになるのだろうか……と周囲の結婚・出産報告を聞きながら最近ぼんやりと考えていたので、「平成の男」「ミューズ」の2曲を、それも幸運にもライブで聞くことができて、あらためて考えを深めることができたような、しかし答えは出ずにもっと迷宮入りしてしまったような気分。

竜人くん、嘉代子さんとも自分とほぼ同世代ということで、上記の2曲以外にも目を見張るような歌詞がたくさんあり、なんて密度の濃い人生を歩んできたのかしらと思いを馳せる時も多々あるのですが、きっと幼い頃から今の瞬間までに触れてきた言葉や出来事が血肉になり言葉に発露されていてるのだなと想像できて、お二方のそんなところが大好きです。